VOYAGE

歴史を辿ると、ヒューマネージが見えてくる。
社長が語るHUMANAGE VOYAGE

第2話 1999年 転機編

IPO(株式公開)を控えた子会社へ出向、
経営者として歩み始めた途端に訪れたピンチ

子会社の株式公開(IPO)要員として出向。
ところが思わぬ展開が待っていた・・・

実は、このアトラクスこそ、日商岩井に入社するきっかけとなった「総合商社の日商岩井、子会社社長に若手社員を抜擢!」という記事の“子会社”でした。「アトラクスは、近々、IPO(株式公開)を予定しており、その準備要員が欲しいそうだ」という部長の説明を聞きながら、私は「そういえば、自分はこの会社の記事を読んで日商岩井に入社したんだ…」と、入社当時の夢を思い出しました。また、その当時、ブームとなっていたIPOにも正直、興味がありました。そこで、その場で「アトラクスに行かせてください」と即答しました。

経営者としての第一歩を歩み始めた途端に、
大きなピンチに立たされる

1999年2月、アトラクスに赴任し、「取締役管理本部長」という仰々しい肩書きで新たな一歩を踏み出しました。ところが、経営者にはなったものの、一体何から手をつけていいのか皆目分からない状態でした。そこで、とりあえず得意な会計の知識を活かして、アトラクスの決算書を分析してみたところ、衝撃の事実に気付きました。それは、IPOなどとても無理な状況だということでした。

インターネットが普及する前、就職活動生は企業へハガキを送り、資料請求をするのが一般的でした。アトラクスのビジネスモデルは、学生から届く大量のハガキを企業から預かり、氏名・住所・大学等の情報をデータベース化し、会社案内パンフレットやセミナー案内を発送するという“新卒採用に特化した発送代行”でした。

親会社の信用力をバックにこの事業をはじめたアトラクスは、採用アウトソーシングの先駆け的な存在となり、順調に成長を遂げ、ピーク時の顧客数は300社にも達しました。

ところが、90年代後半、就職情報サイトが次々と立ち上がると、個人情報は学生自身がパソコンから直接入力するようになり、さらには就職情報を提供するメディアが従来の紙からインターネットへと一気に移行したため、アトラクスのビジネスモデルは急速に陳腐化。会社の成長にブレーキがかかり、IPOどころか、事業継続すら難しい状態に陥っていたのです。

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