VOYAGE

歴史を辿ると、ヒューマネージが見えてくる。
社長が語るHUMANAGE VOYAGE

第3話 2000年 出会編

「適性アセスメント事業」の立ち上げ、
これこそ、ヒューマネージ誕生の序章

ふとした偶然に“コンピテンシー”の概念に出合い、
それが起業につながる

「騙された…」そう思った私は、一度は会社を辞めようとも考えましたが、「辞めるのはいつでもできる。やれるところまでやってみよう」と気持ちを切り替えました。

まず手を付けたのが、人事制度の見直しでした。当時のアトラクスは、まったく儲かっていないにもかかわらず大会社の後ろ盾のおかげで潰れる心配がない。しかも、頑張っても頑張らなくても毎年給料が上がっていく年功給的な報酬制度を採用していました。そのため、若い社員が多い割には活気がなく不平不満が多い、典型的な「大企業の子会社病」にかかっていました。そこで、ベンチャー企業らしく、明るく活気がある雰囲気に変えたい、頑張った人が頑張っただけ報われる“成果主義”的な人事制度を導入したいと考え、ワトソン ワイアット(株)(現在のウイリス・タワーズワトソン)という人事コンサルティング会社に人事制度の設計を依頼しました。

川上 真史 氏
川上 真史 氏

そのとき担当として来社されたのが、川上真史さんというコンサルタントでした。これまでの経緯を話すと、彼は、“コンピテンシー(Competency)”という、当時の日本ではほとんど知られていなかった人材マネジメントの概念を紹介してくれました。“コンピテンシー”とは、直訳すれば「能力」となりますが、普段使われている意味とは異なります。従来、「能力が高い」という言葉は「頭がいい」ことを意味していました。一方、“コンピテンシー”は、「能力」を「成果をあげたかどうか」という視点で評価します。日本の企業では「一流大学出身」というだけで「あいつは優秀だ」と評価され昇進していくケースがよく見られましたが、コンピテンシーの視点では、「成果をあげたかどうか」という視点で人を評価する。この考え方はいまとなっては当たり前ですが、当時は極めて斬新なものでした。

川上コンサルタントの考え方に大いに共鳴した私は、「コンピテンシーという概念は、人材採用の分野にも応用可能であり、“コンピテンシー”を活用した採用手法を確立することは、学歴偏重でミスマッチが生じている日本の新卒採用を変えることができる。ひいてはバブル崩壊後に停滞を続けている日本を元気にすることにつながるのでは」と力説しました。

意気投合した我々は、その日からコンピテンシーを活用した採用手法を日本に広めるべく一緒に取り組むことにしました。そして、このコンピテンシーの概念に基づいた適性検査の開発にも着手しました。まさに夢だった「起業」を実現することになりました。

コンピテンシー面接マニュアル川上真史・齋藤亮三 共著
コンピテンシー面接マニュアル
川上真史・齋藤亮三 共著
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実は、いまでこそ1,000社以上の企業でご愛顧いただいている『Another 8』ですが、リリース当初は、まったく受注できませんでした。そこで、HCM(Human Capital Management=人的資本経営)事業部という新しい営業部隊を立ち上げ、私自身が営業部長として最前線に立ち、この商品の革新的な特徴をアピールすることにしました。とはいえ、HCM事業部の設立メンバーは、私も含めてわずか4名(うち2名が兼務)。窓もない、物置だった部屋に中古のデスクを持ち込んでの出発でした。毎日深夜まで働き、仕事が終わったら近所のラーメン屋でチューハイを片手に将来の夢を語り合いました。

皆で力を合わせて新たな事業を立ち上げているという、ベンチャー企業らしい充実感や一体感を味わえたことは、とても幸せな経験でした。

大企業の看板を背負わず営業をする中で、
自分が本当に成長していることを実感

アトラクスという企業も、『Another 8』という商品も、知名度はまったくありませんでした。そのため、日商岩井という大手商社の看板を背負ってビジネスをしていた頃と比べると、商品、そして何より自分自身の提案の価値を認めてもらえなければ、思うような成果は出ません。商社時代は、自分の力で売っている気になっていたのですが、実のところは、看板で商売をしていたに過ぎなかったと悟りました。

けれども、私には、『Another 8』の販売を通じて“コンピテンシー”の概念を広め、日本の採用を変えたいという強い思いがありました。また、応募者のコンピテンシーに着目した採用は、企業の持続的な成長を支える人材の見極めを可能にするものであり、お客様のニーズに本当の意味で応えるものだという確信もありました。

そういった思いや確信を、看板を背負わない裸一貫の状態でアピールする営業活動を通して、私自身が成長できている実感をもつことができました。商社時代、世界を股にかけてスケールの大きい仕事に携われたことは幸運でしたし、いろいろと勉強になったことも事実です。ただ、ビジネスモデル自体は既に確立されており、自分で新しい価値を創造するといったことはありませんでした。また、市場やお客様のニーズも、それほど身近に感じていませんでした。ところが、自分でつくった事業部で新規事業の立ち上げに携わると、市場やお客様のニーズを非常に近くにあるもの、手を伸ばせば触れることができる“流れ”のようなものとしてとらえられるようになったのです。大組織のブランドに頼らず、身ひとつで、市場ニーズに向き合ったからこそ、そういった臨場感を味わえたのだと思います。

2004年には、その頃、その重要性が急速に認識されつつあった、従業員のメンタルヘルス支援に貢献するEAP(Employee Assistance Program=従業員支援プログラム)事業を立ち上げ、HCM事業部の提供サービスはさらに充実しました。

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